今だからこそ、全国とつながる!SCリレー・メッセージ

コロナ禍に負けない 「今だからこそ,全国とつながる!SC(セレクト&コメント)リレー・メッセージ」第25弾

更新日:2021/06/02

【第25号メッセージ執筆者】 柏 良行 氏(第16期生 仙南支部)

宮城県白石市から全国の同窓生の皆さんへ

 

 

「継」

 「おはようございます。」 昨日の朝のことです。廊下の端っこで作業をしていた私に、互いに目が合ったわけでもなく、昇降口から大きくて、元気な声をかけてくれた職員がいました。距離にすれば、20メートルほど離れていたかと思います。
 その時、思い出されたのは、私が学生の頃のことです。『大学内で先輩の姿が見えたら遠くても挨拶をすること。船岡の街中でも、ジャージ姿が見えたら、まずは挨拶すること。』基礎スキー部員だった私は、先輩方からそのように“教育”されました。入学したての頃は、誰が先輩で誰が同級生なのかもわからず挨拶をして、後で挨拶の相手が同級生だったことがわかると、妙に悔しい思いをしたのも笑える思い出です。
 この職員のように、人に自分からしっかりとした声で挨拶ができることは、机上の学習では身に付けられない、何物にも代えがたい素晴らしい習慣と、人柄だと思います。
 この日、この職員に私の学生時代の話をしました。時代こそ違えど、互いに分かり合えることがあり、共通した経験談で盛り上がったひと時でした。そうです。この職員はこの四月に新任教師として赴任した女性体育教師。しかも、大学の後輩です。毎日、はつらつとして生徒の中に飛び込んでいます。
 この職員の挨拶から、仙台大学で培った精神が脈々と受け継がれていることを感じ、心が躍りました。コロナ禍においても、学校現場や学校以外では同窓生が、そして大学では在校生が力強く活躍していることを誇りに思います。仙台大学で培ったのは精神だけではなく、当然体力もその一つです。その精神力と体力で、この不安な状況を乗り越え、次の世代に仙台大学精神を引き継いでいきましょう。

 

 

<事務局から感謝を込めて>
 昭和の時代,声の枯れていない仙台大学の学生はいただろうか。
 この話だけで多くのドラマがあり,泣き笑いがある。この話題は避けては通れないキーワードといえる。特に当時の感覚として覚えているのは,新入生から見た4年生は雲の上の人だったように思う。3年生も光り輝く存在であり,学年間に相当の差があったかのように思い出される。大学構内で会う人会う人に誰とも構わず全てに挨拶をしていた。先輩ではなく,業者の方や部外者の方々にも挨拶していた。朝から晩まで挨拶の声を大声で出しっぱなしなので,ふと気を抜いていると講義最中に無意識に「ファイト・ファイト」などと声が出たり、部活動時の部員が集合し,先輩の指示を聞いているときにも無意識に大声話出してしまっている者もいるくらいだった。大げさな昔話ではない。大声だけは鍛えられた。今考えると挨拶・声出しに係る一日のエネルギー量はいかほどのものだったかと。
 懐かしすぎる。社会人になってからも仙台大学で鍛えられた習慣は,途切れることなく自身の人としてのスタイルの一部を形成していたように思う。簡単に言えば社会人になって元気のない仙台大学の同窓生はいない。全国いたるところで大声で挨拶しているのは,仙台大学の同窓生である。春先に元気のいい新人を見ると大体仙台大学の卒業生である。これがまた,嬉しい瞬間なのである。

 

 

 現在,全国の同窓生の皆さんへ原稿依頼しています。同窓会ホームページへの掲載は,順不同になることもあるかと思いますので,予めご了承下さい。

 

 

全国の同窓生からの自由投稿,大歓迎です!お待ちしています!