今だからこそ、全国とつながる!SCリレー・メッセージ

コロナ禍に負けない 「今だからこそ,全国とつながる!SC(セレクト&コメント)リレー・メッセージ」だ

更新日:2021/09/16

【第48号メッセージ執筆者】 小柳 信一郎 氏(第3期生)

新潟県加茂市から全国の同窓生の皆さんへ

 

「 挑 」

 私は仙台大学の入試の時,ピンクの木造校舎,小さい体育館にはビックリしました。今の仙台大学からは想像出来ないと思います。その時に新潟出身の2期生の丸山純一先輩が旅館に来てバレーをやらないかと進めてくれてそこから現在までバレーボールに挑むこととなりました(丸山先輩は中学の校長を定年後ガンのために亡くなられました)。大学からバレーボールを始めたのは同級生の遊佐悟くんも同じでした、素人2人の3期生,ただそこに新しい監督,川辺紀男(旧姓高橋)監督就任で練習の質・量共に多くなり昼の練習時間の時は練習後に船岡公園広場までランニングや夜の練習の時は終了時間がなく夜中の1時過ぎまで延々と納得するまで行っていました。その後に後輩で大きい選手が何人か入りチーム力もあがり,南奥リーグ1部に昇格し優勝まで目前の時に川辺監督が一関修紅高校(後の校長)に移ってしまい監督不在に,しかし4年のキャプテン時に後輩の頑張りで南奥リーグ1部初優勝,東北選手権初優勝という結果を出せました。とにかく無我夢中で挑戦していました。在学中には他の競技の先輩や後輩と仲良く語らい楽しい時間でした。残念ながら同級生の数人は仙台大学の未来を憂い他の大学に転校したり地元に帰り就職していました。大学卒業後,新潟に帰った私は県の教員採用試験を受けましたが,昔の新潟国体の他県から来て残留した教師が多く中高どちらも体育は採用が無い状態でした。そのため私学の高校に採用になった人が何人かおりました。私も地元の私立加茂暁星高校に採用となりました。その後高校の監督としての挑戦(仙台遠征は朴沢女子・明成高校の安彦先輩のおかげで20年60往復),教員チームの選手としての挑戦,全日本A級審判員としての挑戦,女子クラブチームの監督として(6人制全国大会ベスト8),ママさんバレーの総監督として(全国大会出場),バレーボールに出会ってから「挑む」という連続でした。幸運だったと思います。学校も再雇用含め42年間加茂暁星高校に勤務させていただきました。現在は加茂市バレーボール協会会長を10年目,昨年よりコロナの影響で大会がほとんど中止もしくは練習試合に変更されています。早く元の状態に戻って欲しいです。

 

 

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