更新日:2021/10/01
【第55号メッセージ執筆者】 佐藤 裕幸 氏(第10期生)
第7期生星雅之氏からのバトンパスです!
北海道滝川市から全国の同窓生の皆さんへ
「 宝 」
昭和51年4月。青函連絡船に乗船、北海道を後にする。チッキで送った布団袋と少しの荷物を受け取りに船岡駅へ、そしてここから船岡での私の4年間の「宝」探しの旅が始まった。
体育教員というよりもサッカーで全国大会のピッチに立つことを夢見て仙台大学へ。
同じ高校出身の先輩と同期との3人での1軒家を借りての自炊生活が始まる。(大家さんはG薬局)
入学当時の部員は約80名強。同期は30名強。Aチーム入りを目指し、毎朝のボール磨き、グランドのレーキがけ、学食での朝食、それから講義へ、先輩との居残り練習、体育館での夜練、神様(4年生)へのマッサージ。週末はリーグ戦のため仙台へ、都会気分を少し味わう。こんな日々の連続・・・。仕送りも最初は現金書留で大学学務課宛、届くと掲示板に学籍番号76×××学務課へ、学生証持参し受領、その日の夕食は、とんかつ童の焼き肉定食。春休みの関東遠征、夏休みの北海道遠征の費用を稼ぐための、白石アツギタイツでの夜中のバイト。総理大臣は第1回大会から3年連続、インカレ2年連続出場。最終学年のインカレでは全国初勝利!夢を追いかけその夢をつかむことができた。教員試験にも何とか合格し北海道へ帰郷。中学体育教員としてたくさんの生徒と出会い、10回の卒業担任。現在は、再任用、42年目の中学体育教員として子どもたちと日々生活しています。船岡での4年間がなければ今はない。最後に、学生時代の思い出は、多くの人にとっては人生の宝物。
私は、いま現在、自分の中に残っている嬉しいこと、悲しいこと、いろんな記憶、それは
何にも代えられない「宝」です。
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