今だからこそ、全国とつながる!SCリレー・メッセージ

コロナ禍に負けない 「今だからこそ,全国とつながる!SC(セレクト&コメント)リレー・メッセージ」第109弾

更新日:2022/04/20

【第109号メッセージ執筆者】 鷹巣  聡 氏(第9期生)

佐賀県西松浦郡から全国の同窓生の皆様へ

 

 

「 貫 」

 

 昭和50年に佐賀県有田町を寝台特急さくら19時間で東京,上野から特急ひばりで4時間で仙台,乗り継ぎ入れて24時間で船岡の大学寮へ到着したのを思い出す。
 大学では教職課程の取得を目指しスタートする。硬式野球部に入部すると,その年は春のリーグ戦が準優勝,秋のリーグ戦は6期生の伊藤弘行投手(札幌琴以工)の活躍などでリーグ初優勝,それに第26東北総体山形大会でも初優勝と好成績を修める事で野球に益々のめり込んで行った。
 次年度は自衛隊を4年経験後,入学された7期生中村幸伸様(島根川本)が主将になると練習が一変した。私の記憶によると,冬トレは船岡城址公園付近の小高い山登りから始まり,そこをダッシュやうさぎ跳びなどレンジャー部隊級に厳しくなった。投手陣は大学裏の自衛隊駐屯地の横道を角田方面へ一周16Kのランニングコースなどで冬季練習で基礎体力や精神力をガッツから鍛えてもらった。
 中村さんは「ガッツ中村」と呼ばれていた。
 もう一つ忘れられないのが遠征や合宿で北海道・山形・秋田・岩手・福島・千葉などに行った事は九州出身の私にとしては貴重な時間でした。それに伴い合宿等の費用を捻出するアルバイトで特に一年生の北海道合宿のバイトが思い出される。同級の4・5人がバイトが決まらず,地元の9期生,八巻芳信(仙台商)がやっとの思いで探してくれた仙台市内のネオン街で外見が明るい店でハードな一ケ月間のバイトだったが忘れられない社会勉強になった。※八巻君お世話になりました。『大学講義→野球練習→電車仙台→夜バイト→八巻宿泊→電車船岡→睡眠4・5時間』
 大学卒業後,故郷に帰る。体育教師と高校野球監督を目指すが,昭和51年佐賀国体のあおりで,高校体育の採用が無く,地元の企業に就職,有田工業高校の外部コーチを平日は17時から練習へ土日祝休みは試合に同行する野球中心の生活を9年が経ち,その間,結婚して30才を過ぎ,野球もそろそろと考え始めていた頃に,隣町の伊万里学園高校(現敬徳高校)から野球部監督の誘いが来て,平成元年から30年間,仙台大学時代に目指した体育教師と高校野球の監督を少々時間がかかりましたがつかみ取ることができました。
新型コロナウイルス感染症の世界的流行(パンデミック)により,学校教育の在り方は変わらざるを得なくなり,教育現場では,学校教育の在り方について再考し,新たな実践を模索するようになってきています。
 学生の皆さんや同窓会の皆さん,これからも「自然災害」や「感染症」に負けずに頑張っていきましょう。

 

“ 信念を「貫」く時,応援者が現れる ”

 

 

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