今だからこそ、全国とつながる!SCリレー・メッセージ

コロナ禍に負けない 「今だからこそ,全国とつながる!SC(セレクト&コメント)リレー・メッセージ」第120弾

更新日:2022/07/11

【第120号メッセージ執筆者】 小野寺 憲治 氏(第10期生)

北海道旭川市から全国の同窓生の皆様へ

 

 

 

「 前 」

 今回のSCリレー・メッセージを書くきっかけは大学広報誌№30でした。特集が組まれた東京パラ凱旋報告会の岩佐義明ヘッドコーチの記事を拝見してです。私は昭和51年度に入学し、バスケットボール部に所属、岩佐君との出会いは部活動でした。仲良くなり山元町の自宅に誘っていただき、苺農家を営んでいたと思いますが、美味しい苺を御馳走していただいた事を思い出したからです。卒業時、連絡先も交わしていなかったため、同窓会誌を通して43年の時を超え話せるチャンスに恵まれた訳です。早速、同窓会事務局に連絡をとらせていただきました。彼の活躍と頑張りに労いの言葉と、気になっていた11年前の東日本大震災では被災されなかったか聞きたかったからです。数日後、彼から電話をいただき当時を振り返り話が弾みました。彼は当時の想い出のままで穏やかで優しさが溢れる人柄のまま、そして現在は車いすバスケの第一人者として大活躍されていることがまるで自分のことのように嬉しく思いました。残念なことに不安も的中し、被災されたことを知りました。筆舌に尽くし難い被災をものともせず活躍して様子を伺い心からその素晴らしさと勇気と感銘を受けました。

 私は卒業後教職に就き38年間の教職生活、3年間の旭川市学校教育部所管の適応指導教室(不登校学級)、そして現在は旭川市子育て支援課青少年係で青少年の補導員として働いています。ここは教職とは異なる現場で、人間関係やパソコン操作など未知の体験でしたが最近やっと慣れてきた感があります。

 実は退職2年目に仙台大学を訪ねてみました。当時を思い出し、お世話になったゼミの本多弘子先生(かなり前に退官)、建物で残っていたのは部活動場所の旧体育館を行った第二体育館?、管理棟の一部くらいでした。街並みもすっかり変り果て、昼食時に利用した二瓶惣菜店、コンパで通った陣屋くらいで、エビ天丼が美味しかった食堂もスーパーも酒屋もありません。また下宿先としてお世話をいただいた当時の建物はなく、40年の歴史の重みを実感し、正に浦島太郎状態でした。
 この度、縁あって会話を持つことができた岩佐君の苦労の比ではありませんが、人は皆楽しいことばかりではなく、むしろ多くの苦難・困難が待ち構えているように思います。私たちはそんな中にあっても過去に戻ることはできません。どんな苦難・困難が立ちはだかろうとも、前に進むしかありません。
 私は現在64歳。人生100年時代に向け、前を向き進んでいこうと思っています。そこで私は「前」をセレクトしました。
 同窓生の皆様、学生の皆さん今後益々のご活躍を心から祈念いたします。

 

 

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