更新日:2021/12/24
【第77号メッセージ執筆者】 堀谷 美姫子 氏(第8期生)
第8期生宮腰正己氏からのバトンパスです!
宮城県大崎市から全国の同窓生の皆様へ
「 逢 」
中学校教員を早期退職し在宅している今,改めて思うことは,これまでの道程は様々な人との出逢いにより,進むべき方向が定まったということだ。
教師としての初任校は,専門である陸上部の顧問として生徒達に携わることができた。しかし,私を直ぐ受け入れてくれた訳ではない。教師だから容易に認めてくれるという概念を覆すことを教えられる出逢いとなった。生徒を成長させたという実績があってこそ,教師として受け入れてもらえることを知った。
二校目では,大学の後輩である下堂前孝士先生との出逢いがあった。文部省指定の剣道で男女共修とTTを取り入れた授業を,平成二年度より実施した。県内でも実施している学校はわずかであったが,彼との取り組みは,その後の授業の基礎となるものとなった。
彼との出逢いの他にも二校目で出逢った人達は,私の生活に大きく関わった。
平成元年に統合したばかりの女子バレー部の顧問となった私は,主将に自分は素人である旨を告げ,翌日から彼女に教えを乞う毎日であった。落ちたボールを拾うのは誰かという私の質問に,彼女は理由もつけてこのポジションの生徒が拾うべきだと教えてくれた。
県大会にも出場できないチームを何とかしたいと門をたたいたのは,古川商業高校(現古川学園)の国分秀男先生。二十回以上も全国制覇をしている重鎮である。面識のない私の申し出を快諾していただき,週二~三回の練習試合をする中,タイムの取り方や選手交代の仕方等を直接指導していただいた。お陰で念願の県大会出場を果たすことができた。その後先生がご勇退なさるまで,毎年ご教授していただいた。
エースの主将は,宮城県選抜選手として全国大会へ出場。卒業後は国分先生の下へ。東北福祉大四年時はユニバーシアードの日本代表で主将を務め,世界大会でメダルを獲得。日立佐和を最後に現役を引退した。
彼女は国分先生との出逢いがなければバレーを続けていなかったかもしれない。引き合わせてくれたのは先生だと言ってくれる。私こそ,彼女のような生徒に出逢わなければバレーにのめり込むことはなかった。
バレー指導者の中に,全中出場経験のある先生方が管内におられたことも,互いに高みを目指す良い刺激となった。中でも全中優勝を成し遂げた鴇田明美先生が,極身近におられたことは有難かった。関東方面の試合や練習試合に同行し,多くの全中常連校の先生方を紹介していただいた。休日はなくなったが,充実した教員生活を送ることができた。
結びに,これまで出逢った方々から学んだことは,新しく出逢った人達に還元してきたつもりである。
関わってくださった方々のご多幸とますますのご活躍を祈念いたします。
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